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こころの授業74 こころと愛  アラー 2015/03/19(Thu)16:36:50 削除
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愛は、私が造った、こころの中にある素粒子である。観念的なもの、抽象的なものでなく
物質である。授業の時には、扱いやすさの為に、つぶつぶのようなもの、として扱ったが
本当は、愛は、物質であるが、ボールのようなもの、ではない。素粒子だからな。一個が、
わたあめのように広がっているが、無限に広がっているもの、である。神に似ている。

興味のあるものは、量子力学を勉強すると良い。
人間がよく、言葉として使う愛ではない。

私がキリストの時には徳が低く、真理に届かなかった故に、弟子たちにも
間違って伝えた。ここに、訂正する。

愛は、授業でその使い方を教え、相手を癒すこともできると
学んだ通りである。愛は、自分のこころの中から発し、どこへでも届くと知って
いよう。遮るものはない。鉄やニッケルや鉛や、法力者が造る結界も通過する。
愛の見返りはない。一方通行である。見返りを求めるものではない。また、
躊躇するものでもない。相手を選ばないのだからね。タイミングもない。
広がり続けるものである。愛を受けたところからは、さらに、大きな愛がでる。
広がるものである。ピラミッドも、愛のコンバーター装置であると伝えた通り。

愛を伝え、唱えし時、分かりにくかったのは、人により、その愛の定義が異なる
からである。大切なのは、言葉が作り出す愛ではなく、 愛そのものである。
相手に与える印象の愛ではなく、どこへ行っても、どう動いても、変わりようの
ないところでの愛の定義なのだ。

冷たい愛により、人が命を絶つこともなく、愛により、傷つけあったり、悲しん
だりすることは、ありえないことなのだ。 形容としての愛は、人間の得意とする
ところ。そんなところではなく、

我々の目にする愛、我々の見続ける愛とは形にとらわれようのない愛であり、
あたたかくも、つめたくもなく、色もなく、形を変え、いたるところに溢れ、
さえぎるものなく、しみわたり、またどこまでも無限に広がり続けるものである。
あますことなく、あまたのものを、くまなく、えらばず、惜しむことなく一方
的にどこまでも溢れるほどに、降り注ぎ与えるものである。

ある者はそれに気付きし時、あたたかく感じ、包まれていると感じ、ある者は、
その存在を知ったが故に、己にさしてくるように感じ、 己を諌め、ある者は
そのふところを知り、とめどなく涙する。

私のもとに来て、涙を流し、それが止まらぬほど、なぜ涙が このように出る
のか本人にも理解できない、この現象が多く目撃される。

それらはすべて同じ降り注がれしものを、
愛を、感知し、 認知したもののレベルでの
相違に過ぎないのだ。

体験したいかたは、
私のもとに、来てください
( 電話にてご予約ください 国際電話:+44 7912 132951 日本国内電話:090 5372 6637)


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